第8回 オーディション

PMF組織委員会が立ち上がって最初の仕事はPMFアカデミー・メンバーのオーディションを行うための資金の用意だった。一方オーディションを行う会場の手配、オーディションのポスター・募集要項を世界の関係機関に送る手配も急がなければならなかった。

日本国内でのオーディション会場は各地のプロ・オーケストラの練習場や音楽学校の合奏室を借りる交渉を始めた。大阪フィルハーモニーは立派な専用練習場を持っていて、たまたま予定した日のスケジュールが空いていたので気持ち良く貸してくれた。他のプロ・オーケストラは専用の練習場を持っていなかったりスケジュールが合わなかったりなどで借りられず、ヤマハのスタジオなどを会場にした。

台北はヤマハ楽器の現地事務所の理解が得られ、スタジオを借りることが出来た。香港は私の知り合いで香港在住の指揮者にお願いして会場の手配をお願いした。その他のオーディション会場はほとんどが音楽学校の練習室をお願いすることになった。

募集要項の送り先については、ある国際コンクール事務局にお願いして国内外の送付先名簿を借り、千数百の音楽学校や外国大使館・領事館等に送った。募集要項の送付はもちろん本来の募集の目的もあるがPMFの事業の宣伝も重要な目的だった。特に海外の音楽大学へは高い郵送料もいとわずせっせと送った。5年目位になるとPMFは海外の音楽学生の間で有名な教育音楽祭になっていた。

10周年に集まったOB達から「あなたPMFへ行った?」と言う会話が音楽学生の間で取り交わされていると聞かされた。

さて、この年のライヴ・オーディションは南米でも行った。複数の審査員が手分けしてあちこちに派遣されるため、当時はデジタル録音して、最終選考に迷いがある場合はライヴ録音の聞き合わせを行った。

南米のある国での会場には録音機の電源になるコンセントが壁に付いていなくて、天井からぶら下がった電球のソケットに二股ソケットをつなぎ片方には電球を片方は録音機の電源として使った。

1991年に任意団体・PMF組織委員会が初めてのライヴ・オーディションを行うと発表すると実に様々な人たちから問い合わせが来た。吹奏楽団で活躍している管楽器の高校生とかアマチュア・オーケストラでヴァイオリンを弾いている人などからである。その度に「世界の一流オーケストラの演奏家になれるような人を訓練する目的の国際教育音楽祭なのです」と説明するがつらかった。「なんとかオーディションだけでも受けられないだろうか」とか、「今、高校生だけどどうやったらPMFに参加できるようになるだろうか」と熱心に問い合わせて来る人は今もいる。この熱意の持ち主には、しっかり勉強して是非PMFを受験する実力を身に付けて欲しいとお願いしている。

1991年、PMF組織委員会が初めて主催した札幌でのオーディションで合格者が出てほっとした。

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