第7回 PMF組織委員会

PMF組織委員会の初代理事長には、当時 (財)札幌芸術の森理事長 だった故 東条猛猪さん(昭和61年4月1日~平成3年6月25日)が就任した。

東条さんは北海道拓殖銀行の頭取を務められて北海道の経済界をリードし、国鉄民営化で誕生しJR北海道の初代社長に就任されたりしていた。

文化活動にも理解が深く、特に(財)札幌芸術の森の初代理事長に就任されてからこの財団の運営基金造成に精力的に取り組まれ、たくさんの企業に頭を下げて歩かれたのは非常に印象的だった。札幌市は国際教育音楽祭PMFの初代理事長をこの人にお願いすることになり、故 板垣武四札幌市長が頭を下げて頼まれたそうだ。

1月末に立ち上がったばかりのPMF組織委員会は、早速2月、3月に行われるPMF1991年のためのアカデミー・オーディションに取り組まなければならなかった。日本国内を含め世界で行われるオーディションには、約3,000万円の費用がかかることが分かった。

発足したばかりの任意団体PMF組織委員会の初仕事は3,000万円を用意することだった。PMF組織委員会の会長は元北海道拓殖銀行頭取で、組織は札幌市が作り、職員も札幌市から派遣されて構成されているとはいえ、任意団体であることには変わりなく、任意団体に融資をしてくれる粋な銀行はなかった。

3,000万円は大金だった。年度途中にスタートした事業なのでPMFへの補助金などは札幌市の予算に盛り込まれていないため市からの助成も得られない。結局 PMF組織委員会の初代事務局長・田熊勉氏が自宅を抵当に個人名義で銀行から借り入れてオーディション費に当てざるを得なかった。翌年度の予算に組み入れて銀行への返済は無事終わったのだが、その年度に2度のオーディション費を予算に組み入れる訳にいかず、数年後のある年に2回分のオーディション費を計上して処理するまでPMFのオーディションはいわゆる「予算の前倒し」の状態で行われることになった。

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