1989年11月のある日の午後2時ごろ、ホテル・ニドムの石川修一社長にバーンスタイン(LB;Leonard Bernstein)を泊めていただけないかとお願いに行きました。建設工事中で慌しいホテル本館(ホテルは数多くのログハウスで出来ている)の2階にある仮事務所の一室でお会いしました。現場で指揮を執っていたらしく埃の付いた上着のままでした。
「実は、今世紀最大の作曲家で指揮者のレナード・バーンスタインさんと言う人が今度パシフィック・ミュージック・フェスティバルという国際教育音楽祭を札幌で開くため来る予定ですが、市内ではなく郊外の空気のきれいな場所のホテルへ泊まりたいということなのでして・・・・・間もなく完成すると伺ったこちらのホテル・ニドムへお泊めいただけないものかとお願いに上がったのですが」
「いつからいつまでですか」
「6月20日から7月9日までです」
「それは出来ません」
「え!駄目なんですか」
「開業前ですから」
「開業はいつですか」
「7月27日の予定です」
「早くはならないのですか」
「その日程で営業許可願いを出してありますし、その日に開業出来るようなスケジュールで作業が進んでいます」。言われてみるとその通りである。
しかし、他には条件にかなう宿泊所が見つかりそうに無いのは分かってもらえたようだし、新しく出来るホテル・ニドムに対する自負とオーナーとしてのプライドは言葉の端はしに現れていた。「経済的なことは別にして(宿泊料金が多少高くても)バーンスタインと世話をする人だけでも泊めていただけないでしょうか」「・・・・・・・」しばらくは何を言っても返事が戻って来ない。設計者の宮部さんの紹介なので冷たくあしらうわけにもいかなくて、さんざん悩んでいるのだと思いました。晩秋の陽が西に傾きかけるまで約2時間近く相手をしていただいた。
「バーンスタインはどんな人なんですか」
「欧米人にしては小柄ですがブロードウェイでロングランを続けて映画にもなった『ウエストサイド物語』の作曲者でもあり、指揮者としてもニューヨーク・フィルから始まって、ウィーン・フィルまで世界中を股にかけて歩き、引っ張りだこなのです。私たちがお願いしても来てもらえるような人ではないのです。なにしろ何処にいても手の上げ下げまで一々世間の話題になるスター的な大物で、とてもチャーミングでいつも周りに人だかりがしています」「難しい人ですか」「周りに気を遣う優しい人ですよ」。こうした応答では、前年タングルウッド音楽祭へ行って間近に拝見してきたのが役に立った。
「分かりました。お泊めいたしましょう。ただし、宿泊料は頂くわけにはいかないんです」「え! タダと言うことですか」「開業前なので営業出来ません。従業員の研修と言うことでお泊めします」「・・・・・・」。今度はお礼も言えないでただ社長の顔を眺めるばかりだった。
LBは1990年7月20日午後8時5分着成田からの直行便で新千歳空港へ到着した。札幌市から市民局文化部長の田熊勉氏が ミス・さっぽろと共に出迎えた。LBは色あせてしおれた花のようにぐったりと車椅子に乗って目の前を通り過ぎリムジンに乗せられて走り去ったそうだ。
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