第3回  バーンスタインの宿 ①

話しは前後しますが、第一回が開催された1990年の前年秋にはバーンスタイン(LB;Leonard Bernstein)の肺が病に侵されていることが分かり、空気が綺麗ではない都会の街なかのホテルには泊まりたくないので郊外の空気の澄んだ場所の一軒家に泊まりたいのだが、と言ってきました。

一行は何人位になるのか問い合わせましたら、約30人とのこと、欧米と違い札幌近郊にはこれだけ大勢を同時に泊められてLBに快適な時を過ごしてもらえる宿舎がなかなか見当らなかったのです。郊外で適当な宿泊場所が見つけられない場合LBは札幌へ来ないかも知れないとのことであせっていました。私はあらゆるルートを使って、上の条件に合うような場所の心当たりがあれば竹津まで教えて欲しいとアナウンスしました。

ある日、LBの宿舎のことで時間が許すようならススキノの「花ゆら」と言うバーへ来て欲しいと「北海道開発コンサルタント」の宮部光幸さんから呼び出しが掛かりました。宮部さんとはかねてから札幌の町作り、町並み作りについて意見を交換する間柄だったのです。ちょうど演奏会がない日だったので時間をやりくりして約束の時間に間に合いました。宮部さんは「竹津さん、LBが泊まる場所を探しているそうですね」とおもむろに大きな図面を持ち出してきました。

「それ、何ですか」「僕がいま造っているホテルなんですが」私は図面も見ないで「市内のホテルには泊まりたくないって言うんですよ」「でしょうね、実はホテルと言ってもログハウスなんです」「え、ログハウス。どれ見せて下さい、何処にあるのですか」と矢継ぎ早に質問をあびせながら気ぜわしく図面を見せてもらったのです。とは言っても素人の悲しさ、一生懸命図面を見ても大きさとか形の実感が湧かない、ついに「どんなものなんですか」「フィンランド産のシルバーパインと言う立ち枯れた松材を使い・・・・」とこまかく説明していただいた。

まさに目的にピッタリかなった建物ではないか、場所は新千歳空港のすぐそばだとのことなので即座に「予約をさせて下さい」と申し入れたのです。

「実はまだ建設中でオープンは7月27日の予定なのです」。膨らんだ期待が一気にしぼむ気がしました。LBは6月20日から7月9日の間札幌へ滞在の予定だったのです。宮部さんは「オーナーがとても良い方なので竹津さんがお願いしたら無理を聞き入れてくれるような気がしたものだから図面を持ってきたのですが」。

可能性があると聞いて再び希望が湧いてきました。「ホテルの名前は“ニドム”と言い、社長さんは石川修一さんと言います」。私は「明日にでもお願いに行きますからすぐにアポイントを取って下さい」と性急に頼み込んで連絡を待ちわび、数日後に石川社長にお願いに行く約束が出来ました。

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